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40代からの挑戦 ~スケルトン 中山 英子選手~

中山 英子 選手(スケルトン)

【プロフィール】なかやま・えいこ
長野県松本市出身。1994年、信濃毎日新聞社に入社。長野五輪の取材をきっかけに、スケルトン競技の世界に飛び込み、2002年ソルトレークシティー五輪、2006年トリノ五輪に出場。2010年バンクーバー五輪は出場を逃す。2014年ソチ五輪を視野に、競技に集中するため今年10月、信濃毎日新聞社を退社。

■プロローグ
「来た!」と思った瞬間、氷に覆われた目の前のレーンを、黒い影が猛スピードで走り去る。ここは長野・飯綱高原のボブスレー・リュージュパーク(スパイラル)。朝霧に霞む山々を見渡す丘の上、全長1,700mに及ぶ氷のコースが曲がりくねった白いラインを引いている。
 
11月末に入り、いよいよウィンタースポーツの季節が到来した。アジア唯一のスパイラルでは、気温3度の寒さの中、氷を削るスケルトン競技のそりの音が山間に鳴り響く。

スケルトン選手はそりに腹ばいになったまま、生身の身体で氷のレーンを一気に滑り下りる。滑走する選手の顔と氷との間隔は10cmに満たない。そりの最高時速は120km/hにも達し、選手の体感速度は想像を絶する速さになる。

バンクーバー五輪を目前に控えた2009年。マナテックジャパンはチーム・マナテック登録のスケルトン選手で当時、五輪選考に挑んでいた中山英子さんを会報誌で特集した。あれから2年-。40代を迎えた中山さんが、新たな飛躍を目指し挑戦を続けている。そんな中山さんの今を、WEBで紹介する。

■前回五輪以降の日々
「バンクーバー五輪には結局行けなかったんですが、出場できなかったことよりも心残りなことがあったんです」。
 
それは、スケルトンを“やりきれていない感”、競技そのものを理解しきれていない自分への“不満”だった。だからといって、また、真剣に競技者として活動する、という心の力は簡単にわいてこなかった。

10年あまり、ただ、ひたすら競技に邁進し、心身ともに休みをほとんど取らずに突っ走ってきた。気付けば39歳。結婚したり、子供を持ったり、ということを隅に追いやっていたことも気になった。
 
“これから先、自分はどうしたいのか”

バンクーバー五輪後、内勤業務をしながら、ゆったり過ごして自分の心の声に、真剣に耳を傾けた。
 
■とにかく前へ
「(当時は)まったく先が見えなかった」というが、半年間、山に出かけてマウンテンバイクに乗ったり、トレイルランをするなど、これまでとは違った身体の動かし方をしてみた。夏が過ぎたころ、「競技を再開したくなる日に備え、何かのきっかけになれば」と、これまでとは違う作者のそりに乗ってみようと思い立つ。昔からの友人でもある英国人が作るそりを選んでオーダーし、昨年の9月末、40歳の誕生日に、寸法合わせのために渡英した。

11月末、長野のコースで初めて新しいそりに乗った。
「作者の違うそりは、これまでのものとは全く別物でした」
乗り心地や動きのくせなど、まるで生き物のように一つ一つ異なるそりの個性。乗った瞬間に、「行けるかも」と直感したという。2ヶ月間の試行錯誤の後、気づけば自己ベストは0.7秒も縮まっていた。

「もう一回、国際大会に出てみたい」
昨シーズンを終了する頃、スケルトンへの気持ちが本格的に湧き上がって来た。
 
仕事とトレーニングの二足のわらじを履く日々を再開。しかし、様々な困難が中山選手を襲う。

次回のソチ五輪(2014年)を視野に競技生活を続ける気持ちは、会社に届かなかった。ナショナルチームからも除籍されていた。

先は見えなかったが、トレーニングを本格的に始めた。調子が上がってきたその矢先、股関節を痛めた。多忙な日々で疲労はピークを越え、トレーニングを続けることさえ難しくなった時、辞める日が近く来ることを実感した。
 
「疲れのせいか、気持ちの面でも落ち込むことが多かった。でも、スケルトンをやり抜きたい気持ちはなくなりませんでした」
 
■時が満ちた
9月26日、一本の電話で事態は急展開する。
「スケルトンの強化専門委員長から、11月のアメリカズカップに出てみないかと打診されたんです」

自分も大会に出るが、若手選手5人を引率するプレイングマネジャーとしての打診だった。このチャンスを逃したら選手としての先はないと感じた。

決断は早かった。職場に在籍したまま遠征に出られないことは、分かっていた。電話から2日後、上司に退職したい旨を申し出る。辞表はあっさり受理され、10月5日に退社。スケルトンに専念する体制を整えた。
 
会社を離れるにあたってリスクも当然考えたという。
「正直言って、将来の不安はありました。でも、“本当にやりたいことをやれ”と背中を押されているような気もしたし、時が満ちたように感じました」

■スケルトンへの思い
「スケルトンは“ひたすら究める対象”。とにかく、この競技のことをもっと感じて、知りつくしたい。挑戦し続けるために、ソチ(五輪)を念頭に置いてます。目標を持っていないと、どこにも到達できないから」
 
しかし同時に、「いま一番大切にしているのは一日一日。目の前のことを丁寧に積み重ねることで、残っていく。“いまここ”の時間を大事にしたい」と思っている。
 
■変化、忍耐、挑戦
「若いころは、自分の中で満たされていない部分からは目をそむけて生きてきたようなところがあります。最近ようやく、そんな満たされていない部分に気づき、受け入れて、ちゃんと向き合えるようになりました」
 
40代を迎え、“物事の終わり”や“自分に残された時間”も意識するようになった。

「人生にしても、スケルトンにしても、いつか終わりが来る。だからこそ、“いま”を大切にしようと思い始めました」

人生には忍耐がつきものだ。
「でも、気が向かないことを続けるだけの我慢と、苦しくて難しくても挑戦する中での忍耐は別物だと思います。私はいつもワクワクしていたい。希望を持っていたい。だから、挑戦する中で忍耐する道を選びます」

様々な変化の中で、いま気をつけているのは体調管理だという。
「日常生活、競技生活を問わず体力は一番の基本だし、健康管理が大切。トレーニングの合間に温泉入浴を取り入れたりもしています。一年半くらいトレーニング量が減っていたので、2012年はトレーニングに集中して充実させたい。身体がきちんとなれば、心も整いますから」
 
■元気の秘訣、大切なことば
2本の滑走を終えた直後も、溌剌とした力のある笑顔。元気の秘訣を聞くと、
「自分の本心を一年近くかけて吟味し、気持ちをいつわらず徹底的に心の声を聞いた。心を掘り下げきって選んだ今の道。だから元気にやれています」と答えた。
 
クリスチャンである中山選手は、聖書の言葉を大切にしている。
「“神様のなさることはすべてが時にかなって美しい”という言葉が心に残っています。自分のタイミングをしっかり待ち、時が来たらすぐに動ける自分になりたい」

■マナテックとは?
「いつも変わらない、今も変わらず助けてくれる存在。マナテックの製品には、数あるサプリの中で“安心感”や“信頼”がある」

これは、実際に使ってみた体感に裏付けられているようだ。
「副作用のような体調面での違和感がない。長く続けて飲んでも、自分の身体が自然に続けられている感じです」

アンブロトースとプラスが特に好きだという。
「アンブロトースは飲むと元気が出る気がするし、プラスは体調が整いやすい感じがある。だから好きでほとんど毎日飲んでいます」

スポーツ選手に欠かせないタンパク質。にもかかわらず、一般のプロテイン製品は苦手で、身体が受け付けなかった。
「オーソリーンを初めて試した時は驚きました。長く飲んでも胃がおかしくなったり、気分や体調が悪くなることが一切なかった。ありがたい製品です」

心の声を聞く前から、身体の声に耳を澄ましてきた中山選手。製品を飲むタイミングについて尋ねると、「身体が欲しがっていると感じたら、飲み時。飲みたい時に飲み、遠征中は特にたくさん飲んでいます」と答えた。

■大会/トレーニング日程
「12月末の全日本選手権大会は優勝が目標。2012年初めには、欧米のどちらかに遠征する予定です」
最終目標として2014年のソチ五輪(ロシア)出場も視野に入れる。
 
■これから
「毎日の積み重ねを大切にしていく。目標は立てるけど、自分を見失わないように」
 
今の願い、それは「健康であり続けること。心も身体も、やりたいことをやれるように」と語る中山選手。日々を大切にしながら、次のステップを目指し、前進を続けている。